この度の東日本の災害、被災された方々の心情は如何ばかりかと思う。
また、亡くなられた多くの方々には、心から哀悼の意を申し上げます。
災害の復興が進まない中で、福島の原発の放射能問題など、先が見えないどころか、ますます深刻な様相すら覗き見えるようだ。
被災された皆さんを励ます言葉は言えても、不安を煽るような言葉など言えるものではない。
心の痛みを胸の奥に仕舞い込み、多くを語らないのが良いのかもしれない。
しかし、あまりにも数字的に因縁めいたものを感じたので、宗教的な意見ではない事を断って、私見として述べたい。
この震災があった日が、実は私の誕生日である。
メーカーからの研修に来ていた鳥澤君と、休息も取らず道具のメンテをしていたので、休憩がてら誕生ケーキを一緒に食べようと、我が家のレストランのテーブルに就いた時に大きな揺れが来た。
3.11は、まさに66歳のメモリアルな年になってしまった。
66歳、録寿である。
この録寿の66という数字だが、遡ると私の生まれた年、いわゆる66年前、原爆が投下された年でもあり、東京大空襲、まさに日本の災難の年であった。
そして、66の素因数分解 2×3×11 だ。誕生日の3月11日、東京の大空襲、原爆投下から66年。そして、この大震災。なんか因縁めいた気がする。
更に、こじ付けのようだが、3.11と9.11、11の偶然だ。
災害とテロの違いはあるが、数字的には似通っている。
ここで言いたいのは、時の流れは全てを忘れさせる。特に戦後震災からの復興だが、66年という月日が高度成長という言葉と共に、あの災害を遠い記憶にした。
9.11の場合だが、その記憶は10年経った今でも、まだアメリカ人の心の痛みであろうか。
しかし、その事がイラク戦争を生み、今のアフガン情勢、パキスタン情勢を生んでいる。
「憎しみは憎しみを生む」というのは誰もが思う事だ。
イラク戦争後でも、それを憂い、アメリカ政府の手法を批判する日本人も多かった。多くの日本人アーティストはイラク戦争反対の歌を歌い、日本のジャーナリストの多くは現地の悲惨さを伝え、批判したはずだ。
しかし、今回の災害では、そのアメリカ軍の大きな厚意に感謝しトモダチ作戦に涙した。
言いたいのは、憎しみや悲しみは、時と共に変わる。記憶もまた薄れる。
しかし、数字はリアルで、それは歴史として刻みこまれる。
私達は、その数字を思い出してみる事が必要では無いだろうか。
1896年(明治29年)明治の三陸沖地震では38メートルという大津波が起きていた。当時でさえアメリカの西海岸にに3メートルの津波があった。
震災のデータが無かった訳ではないのだ。
そのデータがあった上で、10メートル級の防波堤を築いて安堵し、そこに原子爆弾の数百倍規模の原子炉を何十基も築いたのだ。
世界的にも、原発の事故が皆無だった訳ではない。
スリーマイル島原発の事故、チェルノブイリ原発の事故、そん事故があったのに「日本の技術は安全」という、発展、成長の言葉でかき消されてしまった。
誰が悪いとか、何処が悪いといった事ではない。ただ、数字は語っている。
その意味を、私達が確りと胸に刻み込む事だろう。
私の誕生日である3.11 私の年齢66、その数字の意味を、深く記憶したい。

一回使った、拙い絵ですみません。