ジャズボーカル パパの世界 【ライブ情報など】


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Author:papa-otsuru
八丈島在住のミュージシャン、パパ大津留はアングラーとしても有名です。
このブログでは、ジャズボーカル『パパ大津留』として、日々の暮らしやライブ情報、そして少しばかりシュールな詩の世界をご紹介します。



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ジャズと発音
再びライブ活動を始めて1年を過ぎた。

古希からの再出発だが、まだ他人(ヒト)に認めてもらい程のレベルじゃない。

でも、幾ばくかのお金を取って聴いて頂いてる限りは、其処はプロでなければ恥ずかしい。


最近、フェイスブックで昔の仲間や、ミュージシャン、シンガーの方とも繋がるようになった。

先日、ギターの宮野弘紀とつながり25年振りの旧交を温めた。
(と言っても彼は僕のバンドのメンバーであったこともありけっこう後輩だが)

まあ、次回に競演する約束で、FB上だが、話を出来たのも嬉しい。


FBの使い方は、皆さんそれぞれだが、日記的な使い方をしている方も多く、
それを読むのは興味深い。

あまり愚痴になったり、批判的になるのは避けてしまうが、
ミュージシャンなりの切り込んだ言い回しだと、特に楽しい。


実力派の女性ジャズシンガーに高樹レイさんがいる。

多くの実力派、ベテラン演奏家との共演が多く、
その歌唱力にも定評がある。

彼女の「深夜のぼやき」、これは楽しい。いや、勉強にもなる。

先日だが、日本人歌手の発音にぼやいていた。

其処には、僕ら日本人が英語の歌を唄う時、
その発音のくせとか気付かずにやってしまう、日本人独特のナマリ、
みたいなものに、鋭く切り込んでいた。

実は、私もそんなひどい英語で歌う一人かも知れない。


半年ほど前だが、代官山でのライブに、友人のドラマー海老沢一博氏と
君子さん夫妻が聞きに来てくれた。

まあ、昔からの仲が良い友人なので忌憚のない意見だろう
「ツル~、お前、発音が悪い。ナマリが酷い」こんな指摘だ。


確かに、彼らのように長いアメリカンライフを過ごしてきた訳では無い。

英語の歌詞と睨めっこ、何回もレコード聞き返して覚えた歌。

それを25年振りで歌ってる訳で、その癖(なまり)が、さび付いたままで取れてない。


ただ、友人の意見は真摯に聴きたい。

このままで済ますつもりはないので、今更だが猛勉強を始める。

英語の先生の前で、一曲一曲歌って、その発音の矯正を始める。

時間が掛かる。


そしたら、ギターの宮野からFBメッセージ。

「大津留さん、古いソンのラテンをやろう」

ああ、スペイン語だ。

う~。スペイン語を教えてくれる先生を探さねば。

オイラの音楽人生、ああ、終わりが無いね~‘。


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先日の四谷メビウスのライブ、お客さに喜んで頂いたろうか。

何しろ、大枝さん夫婦の結婚記念日。

まあ、サプライズのつもりで、普段歌わない歌を唄った。

プレスリーのラブバラード『ラブミーテンダー』だ。

おかげで、奥様を泣かせてしまった。

他のお客様に、「女殺し~!」なんて言われたが、まあ、楽しいライブだったろう。

chika

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その後に、学士会館でのディナーライブ。

何か、ステージ前にメンバーは、テーブルを頂き、黙々と食って飲んでた。

まさか、主催者は、こんなに呑んべいと思わなかったろう(笑)。


全く、そのせいではないが、このメンバーは普段から仲が良い。

リハーサルと称しては、カニを食って飲み会をするが、おかげで緊迫感が無い。

もちろん、その先頭を切ってるのが私だろうか。

馴れがあって、音数も多くボリュームも張ってきた。そして、ミスも目立つ。


自分のせいなのだが、此処で、もう少し初心に帰り、
アレンジを変えてシンプルにしたい。

仲の良いこのメンバーには申し訳ないが、人数を絞って小編成に、
そして、メロディーラインを書き譜に強いメンバーを加えることにした。

前々回、代官山の「シンプルボイス」のライブで、
盟友のジャズドラマー、海老沢一博氏が奥様を連れて聴きに来てくれた。
奥様はジャズシンガーとして、広く世界的評価の高い伊藤君子さんだ。

まだまだ、復活ライブを始めたばかり、
「まだ、聴きに来るのは早いよ~」
と言いたいが、其処は多少でもお金を頂けばプロの端くれ、
私なりの懸命のステージだ。

ただ、そこで海老沢氏に、多分親友としてのアドバイスだろうか、
忠言、苦言があった。

「つる~、お前の英語は、ナマリが強い、
横文字の歌より、自分の曲、お前の歌を唄え」

20数年前に、私がリーダーで彼がドラマーだったホーン入りのライブバンド、
全て私のオリジナル曲だった。

時代的には早すぎた感はあるが、それは50年代のジャズやラテンの雰囲気を持つ、
7人編成のバンド。バックメンバーの豪華さもあって中々良いバンドだった。

たぶん、海老沢氏が言いたいのは、
無理に英語力の無い私が、スタンダードジャズを歌うより、当時のように、
私のカラーを出したライブステージの方が良いと言いたかったのだろう。


まあ、心に刺さるキツイ言葉だが、前向きに捉える。


そんなこともあって、シンプルにし、アレンジで曲想を変え、
徐々にだが自分のオリジナル曲を増やす事を考えたのだ。

とりあえず、八丈島でのクリスマスライブだが、
昭和のジャズの香りがするオリジナル曲、「プレスコットクラブ」と
「気の弱いラグタイムボーイ」の2曲を加えた。

バンドも、ドラムレスにして音量を絞り、私がコンガを叩いてラテン色を強める。

メロディーラインには、芸大からバークリー音楽大学を経て、
多くの有名アーティストと共演、実力派のバイオリン、森里子が加わった。

都内でのライブは5月頃からだろうか、回数は多くはやらないが、
意欲的で、私らしいエンターティーメントな楽しいステージを作っていきたい。

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夏休み?、9月までライブはお休み。
次のライブは、9/29(月)、四谷の「メビウス」です。

詳細は、8月になってから。

10/25(土)は神田、学士会館で15:00からデナーショー。

夕方とは言え3時からのデナーは早いような(笑)。


最近、気になるのは、トレーニング不足。いや、実際に声を出さな過ぎなのだ。

以前は毎日のようにステージをこなしていた。

しかし、今は何年も音楽活動を中断し、
たまのライブになって、イキナリのハードなリハーサル。

当然、声の調子も崩してしまう。

個人的な練習やボイストレーニングだけでは、喉が鍛えられない。

元の声に戻すためには、やはり、実践のライブ回数を、も少し増やす事だろう。


ただ、ライブの回数の増やすだけでは、お客さんが飽きてしまう。
(少ないファン、お客様を毎回来て頂くのは心苦しい)

でも、ライブハウスでは集客を望まれる。その方が盛り上がるしね~。

まあ、私の実力。。。。現状では、この辺りが良いとこだろう。


ただ、も少し。

気分的には、気楽に、デュオ、トリオぐらいで、
それほどの集客なくても、気楽にやらせてくれる、
ジャズバーなどがあれば良いと思うが。

やはり、折角来てくださるお客様には、声、エンターテーメント、
全てに、万全なものを表現したい。

それでも、少しずつ良いものが出来上がっている実感がある。

来場された方には、心から「楽しかった」と言って帰って頂きたい。

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パパのライブスケジュール
パパ大津留、ライブスケジュール。

今まで決まっている、暫定的なパパのライブ活動です。

10月6日(日)

八丈島ライブハウス『ポットホール』のカウンターバーのスペースで、
2人だけのミニライブ。19:00開演

two man live


お問い合わせは、パパズインへ

04996-2-3888    メールは info@papasinn.com

テーマ:JAZZ VOCAL - ジャンル:音楽


Old men`s Jazz&Blues Mind
私は元々、シンガーではなかった。

まだ音大生だったころ、最初に仕事として参加したのが、
「ジョージ川口とオールスターズ」
と言うビッグバンドだった。

当時、ジョージ川口さんと言えば、日本で最も有名なドラマーである。

何しろ、「ビッグフォー」時代、サックスが松本英彦、
ベースが小野満、ピアノが中村八大と云った怱々たるメンバーで、
あの、日本劇場を(今でいえば武道館)、並ぶファンでなん巻きにもなったと言う、
そんな伝説の大スターがリーダーである。

バンドのオーディションは、あの「シング、シング、シング」。

リズミックなトロンボーンのセクションから始まる。

音程とリズムを合わすのが難しい曲だが、何とかその後のソロワークもこなした。

大学受験以来の試験であるから緊張したが、何とか合格、メンバーの端に加えて貰った。


仕事場は、クラブやダンスホール、それに米軍のキャンプでのバンドショーだ。

しかし、津軽の田舎から出てきたばかりの若造君には、少々刺激の強い仕事場である。


クラブ等ではホステスたちの淫靡な嬌声、そしてショーではヌードダンサーの刺激的な舞い。

帰宅が深夜になるので、当然に翌日の授業に遅れがちになる。


ホステス達に深夜の食事に誘われ、生意気にも酒も強くなる。

酩酊しての朝帰りも度々になると、そりゃ学校にも足が遠くなると云うものだ。


その頃から、ジャズにのめりこむようになってくる。

それは、当時でも一流のバンドであるから、それなりに切磋琢磨。

先輩ミュージシャン(当時はバンドマンと呼んだ)に怒られながら

多くのことを学んだ(それは良いことも悪いことも)。


しかし、ジョージさんのバンドは1年半ほどで解散になる。

私以外は、それなりに名前の通ったプレーヤーであるから、
当然に給料も高い。

イベントなどのギャラの高い仕事が減り、
クラブやダンスホールだけでは、賄いきれなくなったと云う事だ。


しかし、その後も学校には足が遠くなった私だから、
トラと言われるエキストラの仕事で食いつなぐようになる。

ようやくジャズという音楽に情熱を持ち始めた頃である。


当時、東京駅に南口に楽器を持って立っていると、
其処に、地方巡業や場末のキャバレーなどで空きになった
バンドのマネージャーやバンドリーダーが現れる。

まあ、日雇いのバンドマン探しみたいなものだ。

数か月は、そこに日参して職探しをした。

そこで色んなバンドマンと知り合い、酒、女、薬、
堕落の入り口を彷徨った時代だろうか。


その頃、大学の先輩から、
あるトロンボーン奏者を紹介してもらう。

川辺公一という当時は日本のジャズシーンでは
NO1のトロンボーン奏者で、
さらに、その川辺さんの紹介から
「スマイリー小原とスカイライナーズ」に
請われて、そのバンドに参加することになった。

スマイリーバンドは当時、日本のジャズのビッグバンドとしては
最も売れていたバンドだろうか。

特にリーダーのスマイリー小原さんの強烈な個性は、
当時のテレビ番組、「シャボン玉ホリディー」や「ヒットパレード」で、
踊る指揮者として一世を風靡した。

そして、このバンドで、ジャズバンドの、
トロンボーン奏者、編曲家としてデビューすることになる。

若干20歳になったばかりだろうか、この頃はまだ自覚がなかったが、
そんなスマイリーさんに傾倒し、ジャズの世界でのインターテーメント、
そしてジャズボーカルへの思いが、今の私の原点になっているかも知れない。

http://www.youtube.com/watch?v=spNUbRdavnA









テーマ:JAZZ VOCAL - ジャンル:音楽



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