ジャズボーカル パパの世界 【ライブ情報など】


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八丈島在住のミュージシャン、パパ大津留はアングラーとしても有名です。
このブログでは、ジャズボーカル『パパ大津留』として、日々の暮らしやライブ情報、そして少しばかりシュールな詩の世界をご紹介します。



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Old men`s Jazz&Blues Mind
私は元々、シンガーではなかった。

まだ音大生だったころ、最初に仕事として参加したのが、
「ジョージ川口とオールスターズ」
と言うビッグバンドだった。

当時、ジョージ川口さんと言えば、日本で最も有名なドラマーである。

何しろ、「ビッグフォー」時代、サックスが松本英彦、
ベースが小野満、ピアノが中村八大と云った怱々たるメンバーで、
あの、日本劇場を(今でいえば武道館)、並ぶファンでなん巻きにもなったと言う、
そんな伝説の大スターがリーダーである。

バンドのオーディションは、あの「シング、シング、シング」。

リズミックなトロンボーンのセクションから始まる。

音程とリズムを合わすのが難しい曲だが、何とかその後のソロワークもこなした。

大学受験以来の試験であるから緊張したが、何とか合格、メンバーの端に加えて貰った。


仕事場は、クラブやダンスホール、それに米軍のキャンプでのバンドショーだ。

しかし、津軽の田舎から出てきたばかりの若造君には、少々刺激の強い仕事場である。


クラブ等ではホステスたちの淫靡な嬌声、そしてショーではヌードダンサーの刺激的な舞い。

帰宅が深夜になるので、当然に翌日の授業に遅れがちになる。


ホステス達に深夜の食事に誘われ、生意気にも酒も強くなる。

酩酊しての朝帰りも度々になると、そりゃ学校にも足が遠くなると云うものだ。


その頃から、ジャズにのめりこむようになってくる。

それは、当時でも一流のバンドであるから、それなりに切磋琢磨。

先輩ミュージシャン(当時はバンドマンと呼んだ)に怒られながら

多くのことを学んだ(それは良いことも悪いことも)。


しかし、ジョージさんのバンドは1年半ほどで解散になる。

私以外は、それなりに名前の通ったプレーヤーであるから、
当然に給料も高い。

イベントなどのギャラの高い仕事が減り、
クラブやダンスホールだけでは、賄いきれなくなったと云う事だ。


しかし、その後も学校には足が遠くなった私だから、
トラと言われるエキストラの仕事で食いつなぐようになる。

ようやくジャズという音楽に情熱を持ち始めた頃である。


当時、東京駅に南口に楽器を持って立っていると、
其処に、地方巡業や場末のキャバレーなどで空きになった
バンドのマネージャーやバンドリーダーが現れる。

まあ、日雇いのバンドマン探しみたいなものだ。

数か月は、そこに日参して職探しをした。

そこで色んなバンドマンと知り合い、酒、女、薬、
堕落の入り口を彷徨った時代だろうか。


その頃、大学の先輩から、
あるトロンボーン奏者を紹介してもらう。

川辺公一という当時は日本のジャズシーンでは
NO1のトロンボーン奏者で、
さらに、その川辺さんの紹介から
「スマイリー小原とスカイライナーズ」に
請われて、そのバンドに参加することになった。

スマイリーバンドは当時、日本のジャズのビッグバンドとしては
最も売れていたバンドだろうか。

特にリーダーのスマイリー小原さんの強烈な個性は、
当時のテレビ番組、「シャボン玉ホリディー」や「ヒットパレード」で、
踊る指揮者として一世を風靡した。

そして、このバンドで、ジャズバンドの、
トロンボーン奏者、編曲家としてデビューすることになる。

若干20歳になったばかりだろうか、この頃はまだ自覚がなかったが、
そんなスマイリーさんに傾倒し、ジャズの世界でのインターテーメント、
そしてジャズボーカルへの思いが、今の私の原点になっているかも知れない。

http://www.youtube.com/watch?v=spNUbRdavnA








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テーマ:JAZZ VOCAL - ジャンル:音楽


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